■ 松尾たかひで 一期一会 ■


カリスマ添乗員・平田進也さん  2009/12/20(日)
佐藤優さん  2009/06/23(火)
横田めぐみさんの父、滋さん  2009/04/05(日)
田中マルクス闘莉王選手(サッカー日本代表)  2008/11/23(日)
達増拓也・岩手県知事  2008/11/23(日)


カリスマ添乗員・平田進也さん

今年、友好都市である宮崎市の宮崎神宮御神幸祭に橿原市議会議員として初めて参加させて頂きました。

われわれ議員団とは別に橿原市民観光団も宮崎に来られていましたが、その観光団の添乗員が日本旅行の平田進也さんでした。

平田さんと言えば、おはよう朝日です!などテレビでお馴染みのカリスマ添乗員であり、会社公認のフアンクラブには同業者約2万人が会員として登録されている有名人です。

平田さんの親類が元大淀町議会の議長さんでもあったことから、昔から存じ上げておりましたが、宮崎市でお出会いでき本当に光栄でした。

平田進也さんと長時間お話をさせて頂きましたが、「松尾さん、橿原の観光はもっとこうすればよくなりますよ!」「私は全国各地の観光地をまわってきたからわかるんです!」と熱く語って頂きました。

先日の12月議会で「正式に観光親善大使として委嘱されたらどうか」と質問させて頂いたところ、「条例(ルール)にのっとり、委嘱させて頂く準備を進めております」と答弁を頂きました。

いよいよ橿原市の観光が次のステージに移ります。
Date: 2009/12/20(日)


佐藤優さん

佐藤優さんは定期的に奈良県吉野郡にこられています。

北畠親房卿の「神皇正統記」の冒頭で大日本者神國也と宣明されているとし、南朝(吉野朝)によって日本の国体が明確に自覚されたのだという主張を展開されている佐藤優さんは、毎年の吉野勉強会で必ず賀名生(あのう)の堀家を訪れられます。

北朝側武将の高師直・師泰兄弟が吉野山を囲み吉野山の行宮を退去せざるを得なくなった時に、後村上天皇はこうおっしゃったそうです。

「穴生(あのう)に行こう。穴生には楠正成がいる。」
すでに湊川の戦で死んでいる楠正成が穴生にいるはずもなく、北畠卿は再び後村上天皇に尋ねられました。

後村上天皇は答えられました。
「後醍醐天皇が亡くなられる前に、吉野山の行宮にもしもの事があった時には必ず穴生の堀信増を訪ねよ。楠正成に劣らぬ忠臣が堀信増だ。」と。

その穴生が現在の五條市西吉野町の賀名生(あのう)であり、堀の血を継ぐのが前田武志参議院議員です。(前田先生の母方の実家が堀家です)

政権交代を平成の建武の中興に例え、日本を大掃除する。
前田武志議員の政治の原点の一つであり、私の原点でもあります。
Date: 2009/06/23(火)


横田めぐみさんの父、滋さん

横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されたのは、私が生まれた昭和52年の11月でした。あれから31年。
この長い年月を考えると、日本国民の生命と財産を守るべき日本政府がその責任を果たしてきたとは言えません。

奇しくも北朝鮮が長距離弾道ミサイルを発射した5日、めぐみさんの父である横田滋さんにお会いしました。

心身とも大変お疲れなはずの滋さんですが、皆さんからお預かりした署名やメッセージを手渡した際に、本当に温かな優しい笑顔で受け取って下さいました。

テロ国家である北朝鮮によって拉致された全ての被害者救出のために、松尾高英も建国の地「橿原市」で心同じく闘うことを滋さんにお約束いたしました。

南朝を興し日本の独立を守った吉野の吉水神社において、横田めぐみさん奪還の祈りをさせて頂きました。
Date: 2009/04/05(日)


田中マルクス闘莉王選手(サッカー日本代表)

私はサッカーを心から愛しています。キャプテン翼ではまって、1990年のワールドカップを見てヨーロッパサッカーにはまり、キング・カズを好きになり、イタリアのマルディーニを追いかけ続けました。

同い年(1977年生まれ・学年は1級上)の中田英寿選手が活躍されている時が私の「サッカーオタク」のピークではありましたが、もちろん今でもサッカーをこよなく愛しています!

今もっとも好きな選手は闘莉王選手です。
あの闘志あふれるプレーと集中力、そしてフィジカルコンタクトの強さや、並はずれた攻撃力、キャプテンシーなどあげればキリがありません!!

10年に一人の素晴らしいサッカー選手です。
誰よりも日の丸を背負う責任を感じる闘莉王選手が必ず日本を2010年のワールドカップ出場に導いてくれると信じています!!

頑張れ!!サッカー日本代表!!!
松尾高英は闘莉王選手を応援し続けます!!!
Date: 2008/11/23(日)


達増拓也・岩手県知事

民主党の衆議院議員であった達増拓也さん。
あの小沢王国と言われる岩手の知事となられましたが、改革派知事と言われた増田知事の後でもあり、大変なプレッシャーだったと思います。

地方分権の時代の今、県知事の権限はますます増えています。
省庁の機関委任事務だった知事職が今や政治決断を迫られる仕事に。その決断でわれわれ県民の生活も変わる時代となりました。

奈良県天理にあったシャープの液晶部門が、三重県亀山市に移ったことは政治的な敗北と言えます。一部上場の森精機でさえ奈良県から本社を移しかけたので、前田武志さんがあえて知事選挙に挑戦したのはもう5年も前のこと…。

多選の現職知事に対し奈良県中の各種団体や政党など約800団体が推薦を出し、圧倒的な資金力とマンパワーでしたが、奈良県民に前田議員の訴えが届き接戦に。

しかし、約4万票差で前田議員が惜敗。

結果、森精機は大和郡山市から名古屋市へ本社を移されたことは記憶に新しいことです…。

知事で県民の生活が変わることを思い知らされた選挙でした。。。
Date: 2008/11/23(日)


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